偽りとためらい(62)

第20章 三年次・11月

 11月中旬のその日曜日、高志が朝からバイトに入ると、咲がいた。
「石川さん。珍しいですね、日曜に入るの」
「うん。倉重さんが体調不良みたいで、代わって欲しいって頼まれたの」
 高志のその日の勤務は朝から夕方までだったが、咲も同じシフトのようだった。今日は誘われるだろうか、と高志は勤務中に何度か考えた。気にしないようにしながらも、心のどこかで期待しているのを自覚していた。
 勤務が終わった後、咲がこっそりと「高志くん、今日うち来る?」と聞いてきたので、高志は「はい」と答えた。そしていったん別々に事務所を出た後、咲のマンション前で落ち合い、そのまま一緒に部屋へ入った。
「何か久し振りだね」
「そうですね。大学が始まってからは初めてです」
「本当は今日、断られるかもってちょっと思ってたんだ」
 咲がお茶を出してくれながらそう言うので、
「何でですか。ありがたいですよ」
と高志が答えると、咲は笑い出した。
「えー。何か、高志くんって意外とそういう人なんだ」
「意外ですか」
「もっとストイックに見えるから」
 高志自身、昔はそうだと思っていた。今考えれば、それは高志の性質というよりは単に知っている世界が狭かっただけだと思えた。遥香と別れ、想像していた将来が失われ、今は気持ちの伴わないセックスをして、男と普通にキスしている。いざ自分の身に起きてみれば、ごく当たり前のことのように思われた。それらを受け入れることで、高志の世界は少しだけ広がった。この先もどんどん広がっていくのだろうし、今予想していないことだって受け入れるようになるのだろう。
 茂はあの時、自分に軽蔑されたのではないかと気にしていたけど、こんな自分にそんな心配は全然いらなかったのに、と思った。好きになれない彼女と付き合っても何の問題もないのに、あの時驚いていた自分は今思い返せば随分とナイーブだった。茂にキスされて恥ずかしさで居たたまれなかった自分も。
 でも茂が高志のことをそういう潔癖な人間だと思っているのなら、この本当の自分はあまり知られたくないな、と高志は思った。

 茂の専門学校での勉強は、かなりハードなようだった。二科目を同時受験するため暗記と演習が両方必要らしく、テキストを持ち歩いて細切れの時間は暗記に充て、授業後には大学に残り、解くのに一時間ほどかかる練習問題を最低二問解くことを日課にしている。「家ではやらないんだよな」と笑いながら茂は言った。
「解いても解いても絶対どっか間違ってるんだよ」
「まあ、最初は間違えたところを復習して潰していくしかないよな」
「そう思ってやってるんだけど、また絶対どっか別のところを間違えるんだよ。トラップが無限にある感じでさ」
 そうやって茂が勉強に追われているため、10月頭のあの日以来、高志は茂の部屋に行くことはなかった。
「でもあんま無理すんなよ。長期戦なんだし」
「そうなんだよー、これがあと何年続くんだって感じだよ」
 茂がそうやって嘆くふりをするので、
「もし息抜きしたくなったら付き合ってやるから」
と高志は言ってみたが、茂は笑って「サンキュ」とだけ言った。
 以前はぷよぷよ会など何かと理由を付けて茂の方から高志を招くことが多かったので、それがなくなると一切の機会がなくなった。そう言えば伊藤たちにもしばらく会っていない。自分から行くと言えば勉強の邪魔になりそうで、高志はそれはしなかった。もし気晴らししたくなれば、茂から言ってくるだろうと思うことにした。
 12月に入ると、高志自身も大学内で開催される就職ガイダンス等に参加するようになった。1月末の後期試験が終わるといよいよ就職活動も本番となる。茂が資格取得について話し出した頃から、高志も自分なりに考えたり自己分析したりするようにしていたが、なかなか業種や職種を絞り込むまでに至らず、最初は間口を狭めずに情報を得ながら考えていこうと思っていた。
 その日も、現四回生の就職活動の経験談を聞くことのできる説明会が学内で催されていたので、高志は授業の合間に会場に向かっていた。
「あれ、藤代くんじゃん。久し振り」
そう呼び掛けられて高志が振り向くと、同じく説明会に参加するらしい伊藤が立っていた。

PAGE TOP