偽りとためらい(88)

第25章 四年次・9月

 9月末に後期の授業が再開した。
 初回のゼミの日、高志が少し早めに教室に向かうと、茂はもう座っていた。入ってきた高志を見て笑う。
「藤代。お疲れ」
「細谷」
 その笑顔を見て、高志は思わず安堵した。この夏季休暇中、茂とはほとんど連絡を取り合うことがなかったため、高志は自分で思うより緊張していたようだった。そのまま歩み寄って隣の席に座る。
「お疲れ。実家でゆっくりできたか?」
「はは、まあ割とゆっくりしてたよ。何だかんだ畑の手伝いとか通院の送り迎えとかさせられてたけど」
「そっか」
「お前はどうしてた?」
「別に何にも。いつもみたいにバイト、部活、たまに卒論」
 実際には卒論はあまり進まなかったが、一応そう言う。
「へえ。お前、かなり稼いでるんじゃね?」
 その言葉で、高志はふとあることを思い出した。
「あ、そう言えば」
「ん?」
「……いや、この後どうするかと思って。またカフェでも行く?」
「ああ、じゃあ行こうか? 久し振りだし」
 茂の何気ない返答に、高志はまた一つほっとする。
 今日久し振りに会った茂の態度には特に変わったところはなかったが、それを鵜呑みにすべきでないのはもう充分に分かっていた。
 そして分かってはいても、やはり茂の笑顔は高志を安心させた。

「卒業旅行?」
 ゼミが終わってカフェに移動した後、高志は思い切ってその話題を振ってみた。
「そう。何か考えてたりする?」
「いや、全然」
 茂は首を横に振ると、少しだけ笑った。
「何か、藤代がそういうのに興味あるのって意外な感じするな」
「いや、まあそこまででもないけど」
 夏休み中、バイト先でふとそんな話になった時、高志はすぐに茂のことを思い出した。
 茂は長期休暇には必ず帰省していたため、不参加だったゼミ合宿等も含め、高志は茂と旅行したことがなかった。旅行そのものにそれほど興味がある訳でもなかったが、大学生活の最後に茂と一緒に旅行できるのなら楽しそうだと思った。もちろん、自分達の関係が旅行するには微妙だということも、茂が後期に就活と卒論と勉強に集中的に取り組まなければいけないことも分かっていたので、茂にその気がなければそれで諦めるつもりだった。
「もしお前が行けそうなら、と思って」
「お前と一緒に旅行したら楽しそうだな」
 茂がそう言って笑う。
「でも俺、もう一年以上バイトしてなくて、金ないんだよね」
「ああ、ずっと勉強してたしな」
 やっぱり難しそうか、と高志が納得しかけた時、「だから海外とかは無理かなー」と茂がコーヒーを飲みながら言った。
「行くとしても、国内を貧乏旅行とかになるかも」
「――ああ。いいんじゃないか、そんなんで」
 脈がなくもなさそうな茂の言葉に、高志は肯定の返答をした。
「まあ、とりあえずまず就職決まってからじゃないと、何とも言えないけどさ。……もし年内に無事内定もらえたら、行こうかな」
 茂が高志を見て、そう答えた。
「そんなんでもいい?」
「ああ、もちろん。全然」
 高志は頷いた。茂が前向きな返事をくれただけでもひとまず充分だった。
「まずは就活頑張れよ」
「あと卒論もなー」
「勉強もまたやるんだろ?」
「うん、もう始まってる。今度はいよいよ税法。でも次は一科目だけにしたけど」
「そうなのか。難しくなる?」
「いや、もしかしたら4月からは働いてるかもしれないのと、あとこの前に受けたのがもし落ちてたら、もう一回やらないといけないからさ」
「ああ、そうか。でもこの前のは手応えあったんだろ」
「うん。まあ受かってるかは分かんないけどなー。でも、合格発表まで一応再履修しとく人もいるみたいだけど、俺はひとまず自分を信じて、次の科目を受講してみた」
 茂が冗談ぽく話すのを、それでも高志は感心しながら聞いた。やっぱり茂は受かっているんじゃないかと思ったし、就職もすぐに決まるだろうと思った。多分、卒業旅行も無事に行けるだろう。茂ならきっと。
 そして、自分も夏季休暇の間に少し手が離れてしまった卒論に再び集中しよう、と気を引き締めた。


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