偽りとためらい(57)

「昨日あれから話してて、今度大槻さんとかも一緒に飯行こうってことになったんだけど、藤代も行くだろ?」
 次の日、昼食の時に茂からそう言われたので、高志は頷いた。
「行く。また日が決まったら教えて」
「分かった。佳代ちゃん側にも言っとく。今のところ月木以外かな」
「月木以外な」
「うん。今行ってる専門学校、月木が授業なんだ。月木の夜間と、日曜は丸一日」
 茂は以前から、ある国家資格を取得しようと考えていることを高志に話していた。そして実際に、その学校に今月から通い始めたらしかった。
「ああ、言ってたな。どんな感じ?」
「まあ、今はまだ最初だけどさ、ちゃんとついて行かないと、この先大変っぽい」
「細谷はもう就職もそっち方面にするってことだよな」
「うん。でも卒業までに合格するのは無理だから、どっかの事務所に就職して何年かは働きながら勉強って感じかな」
「へえ」
 三年次も後半になり、同級生達との会話にも、頻繁に就活の話題が上るようになってきた。茂のように専門学校に通う者も何人かいた。高志は今のところ一般企業を希望していたが、そうするとあと数か月後にはいよいよ就職活動が始まることになる。暢気な大学生活もそろそろ終わりか、と高志は思った。
「そう言えば、伊崎さんって今も二回生になるのか?」
「うん、休学扱いで留学してたから、また二回生に復帰みたい」
「そしたら、卒業は一年ずれるんだな」
「そうだね。もう授業で一緒になることもないんだなー」
「ああ、それで昨日まで全然会わなかったのか」
 そう言う高志に、茂は一拍間を置いてから聞いてきた。
「お前さあ、昨日何か変な気い遣っただろ」
「え? ああ。まあ、二人の方がいいかと思って」
 高志が素直に認めると、茂は「全然そんなことないよ」と言った。
「細谷さ、この前の彼女と別れた時、楽しくない人間と付き合っても仕方ないって言ってたよな」
「うん」
「伊崎さんは一緒にいて楽しいんだろ」
 茂はかすかに眉をひそめ、「……楽しいけど」と答えた。
「もう一回付き合ったりしないのか?」
「何それ。する訳ないだろ」
 即答で否定する茂に、高志は自分が考えていることを告げる。
「何回も同じこと言って悪いけど、お前、自分では好きじゃないって思ってても、どっかでやっぱり特別に思ってるだろ。他の人間と話す時と伊崎さんと話す時じゃ、お前の態度全然違うし。俺にも伊崎さんのことはいっつも楽しそうに話してる」
「そりゃ、一応元カノなんだから他の人とは違うよ」
 大体、佳代ちゃんだって今更そんな気ないから、と言う茂に、高志は何故か食い下がった。
「でも、伊崎さんが留学前に別れたことを誰にも言わなかったのだって、そういう可能性があったからじゃないのか」
「佳代ちゃんが何で言わなかったのかは知らない。でも別れるって決めたのは佳代ちゃんだって言ったよな」
「お前も話を合わせてやってたじゃないか」
「別に、わざわざ他人に別れたなんて言う必要ないと思っただけ」
「もし仮にこれから伊崎さんが他の誰かと付き合い出した時、お前、本当に後悔しないのか」
「例えばお前とか?」
 そうして茂が返してきた思いもよらない言葉に、高志は一瞬返答が遅れた。
「……は?」
「藤代、佳代ちゃんのことやたら気に掛けてるよな。佳代ちゃんのこと好きなのはお前じゃないのか。もしそうなら、俺に遠慮なんかしなくていいから」
「おい、何勘違いしてんだよ」
「俺は何回も、そういう意味では好きじゃないって言ったよな。お前には何回も、ちゃんと」
「……言ったけど」
 明らかに苛立っている茂の様子に、高志は自分が踏み込み過ぎていることを理解していた。もうやめておく方がいいと頭では分かっているのに、やめることができなかった。やめる代わりに、高志はより言葉を重ねる方を選んだ。
「俺が伊崎さんのことを気に掛けてるとしたら、お前が伊崎さんを大事にしてるのを知ってるからだろ。お前は違うって言うけど、別れて淋しいって思うのも、別の彼女じゃ駄目だったのも、そこに何かがあるからじゃないのか。一緒にいて楽しいと思える人間なんてそうそういないし、その気持ちがあるなら、もう一回付き合ってみても」
「お前が言うな!!」
 常にない大声で高志の言葉を遮り、がたんと音を立てて茂が立ち上がる。ざわつく食堂の中では喧噪にかき消される程度だったが、それでも近くに座っていた数人がこちらを見た。
「……細谷」
 高志を残し、茂は食べかけのトレーを持つと、そのまま立ち去っていった。


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