偽りとためらい(58)

 その日は金曜日で、毎週4限にゼミがあった。高志が教室に行くと、茂はまだ来ていなかった。高志が適当な席に着いていると、徐々にゼミ生達が集まり出し、茂も時間ぎりぎりに教室に入ってきた。そして高志を見ないまま、離れた席に着いた。他のゼミ生が発表するのを、高志は上の空で聞いていた。
 ゼミが終わった後に茂に謝ろうと思ったが、茂は足早に教室を出て行ってしまい、声を掛けることができなかった。
 ここまで茂を怒らせたのは初めてだった。というより、今までこれほど深刻な言い合いをしたことがなかった。あんなに声を荒げた茂は見たことがなかった。
 明らかに自分に非があることを高志は自覚していた。自分の目に見えている光景は実際の当事者たちの思いと同じではないということも充分に分かっていたのに、再会した二人の纏う雰囲気だけを見て、また自分の考えを押し付けてしまった。そして先ほどの茂の言葉を思い返す。
――俺は何回も、そういう意味では好きじゃないって言ったよな。お前には何回も、ちゃんと。
 あの言葉を口にしながら、茂は何を感じただろう。高志には何も通じていなかったのだと失望しただろうか。信頼を裏切られたように思っただろうか。茂が佳代と初めて寝た後、佳代に対する罪悪感で嗚咽していたのを高志は見ていた。あの夜だって、茂はこれ以上ないくらいの本音を話してくれていたのに。
 早く、きちんと謝らなければと思った。しかし同時に、許してもらえるか分からずに少し怖くなった。
 その夜は、電話やラインではなく会って謝ろうと考えた。
 翌日の土曜日、部活後に連絡しようと思ったが、拒否される想像しかできず、結局できなかった。月曜日になれば授業で会えるから、その時に必ず捕まえようと思った。
 月曜日は同じ授業が一つあったが、演習のためグループ毎に席が決まっていた。茂は一度も高志の方を見ようとせず、開始ぎりぎりに来て、終了後すぐに出て行った。
 火曜日は別の授業を取っていたが、いつもは2限終わりに落ち合って昼食を一緒に取っていた。当然、茂は姿を見せなかった。日が経つにつれて事態が深刻さを増すように感じ、高志は早くしなければ解決できないのではないかと焦り始めた。
 水曜日も同じ授業があった。大教室での講義だったので、終わった後に走ってでも捕まえようと思っていた。
 しかしその日、とうとう茂は授業に来なかった。
――そんなに自分に会いたくないのだろうか。授業をさぼってまで。
 そこまでして自分を避ける茂には、もう何をどう謝っても許してもらえないような気がした。自分のせいで大事な友人を失うことになるのかと、高志はあらためて自分の言動を悔やんだ。それでも謝るしかない。もう先延ばしにできない。
 その夜、部活が終わって体育館を出たところで、高志は茂にラインを送った。
『今から部屋に行ってもいいか?』
 送りながら、もしかしたら読んですらもらえないかもしれない、と思った。しかし少ししてメッセージは既読になった。それから、数十秒後に返事が来た。
『わからない』
 読んで数秒、高志はその意味が分からなかった。想像していた拒絶でも了承でもなかった。茂が何かを間違えたのかと思った。あるいは外出していて帰宅時間が分からないということだろうか。しかしそんなおかしな書き方はしないだろう。素直に読めば、高志が今から部屋に行っていいかどうかが『わからない』。――決められないということだろうか。
『じゃあ行く』
 高志はそう返事をすると、足早に茂のアパートに向かって歩き出した。茂が返事をくれたことで希望を感じ、少し積極的になることができた。知らぬ間に走っていた。


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