沈黙が続く。
旭は少しずつ、取り返しのつかないことをした罪悪感に押し潰されそうになっていった。
どう考えても、忘れられた旭よりも、忘れてしまっていることを知った圭一の方が辛いに決まっている。よく考えもせずにあんなことを言うんじゃなかった。これでもし圭一が取り返しのつかない精神的ダメージを受けてしまったら、どうしよう。
圭一はただひたすらにスマホを見つめている。
しばらくは呆然としていたが、やがて指を動かし始めた。その他の色んなデータを確認しているようだった。小刻みにスクロールしていた圭一が、ふと「セクハラ……?」と呟く。
「あ――バイト先で」
旭とのラインを読み返しているのだろう。付き合っていた時期だけ、毎日言葉を交わしていた記録。それだって、普段ほとんどラインしない圭一には充分にインパクトのある、そして旭の言葉の裏付けになるもののはずだ。
「何されたんだよ」
こんな時にも関わらず、圭一は真剣な顔でそう問うてくる。
「いや、肩とか背中とかちょっと触られたくらい」
上目遣いにじっと旭の様子を見ていた圭一は、やがてもう一度スマホに目を落とした。
「――なあ」
「え?」
「俺、何で忘れんの……?」
「いや……分かんないけど」
「何か頭とか打ってた?」
「お前に聞いた時は『打ってない』って言ってた」
「……きっかけとかは分からない感じ?」
「――」
旭が答えに詰まると、圭一が顔を上げた。
「何?」
「あ……多分、俺の何かが駄目なんだと思う」
「は? それはない、絶対」
「でも、俺のことだけ忘れるって、そういうことだろ」
「……違う」
「俺だって分かんないけど。お前の無意識が、俺を忘れた方がいいって考えてるんだと思う。男同士が駄目なのかとか、俺が怒らせるから駄目なのかとか色々考えたけど」
分からない。分かっていれば、旭もできることはしている。
「お前のことだけ忘れてんの?」
「うん……柏崎くんにも聞いたけど、俺とのことだけだって」
「でも、俺にとってはお前との記憶が一番大事なのに。男同士とかどうでもいい。もし付き合えてたんだったら尚更、絶対に忘れたくないのに」
「お前はそうでも、お前の無意識が何かあるんだよ。何か分かんないけど」
それは圭一自身にだって分かりようのないことだ。
「……で、二回目はいつ忘れたんだ?」
「え……夏休み最後の日……」
口が重くなる。結局今日、あの日と同じ失敗を繰り返してしまったことを思い出す。
「学校が始まったら、お前は俺のこと忘れてた」
「――これか」
ラインの履歴を見ながら、圭一が呟く。
「うちに来た?」
「……うん」
「そんで、何があった?」
「だから――」
「え?」
「初めてお前とやることになって……でもできなくて、それで俺がお前を怒らせてしまって」
圭一は眉をひそめ、「怒った?」と聞いてくる。
「俺が? お前に拒否されてってこと?」
「あ、いや、今日みたいに途中までやりかけて、でも上手く入らなかったから」
「それで怒った?」
圭一はその自分自身の行動に納得できないようだった。もっと正確に伝えるために、言葉を選んで旭は言い直した。
「違う。できなくて怒ったんじゃなくて、お前は『痛かったら言え』って言ってくれたのに、俺がそれを無視して言わなかったから、だと思う」
「――ああ」
「……今日みたいに」
ぽつりと呟く。そんな旭を形だけ見つめながら、圭一は頭の中で内容を吟味するように考え込んでいるようだったが、ある瞬間にはっと表情を変えた。
「え、何……そしたらお前、それでさっきあんなに――」
何故かまた涙が出そうになって、旭は眉間を寄せて耐えた。
「……ちゃんとできたら、って思ったんだけど。結局また入らなかったし、お前を怒らせちゃったから」
「違う、怒ってない。ごめん、まじで俺」
「だからさ……」
喉が詰まって言葉が途切れる。ぎゅっと唇を引き結んで、旭は涙を見せまいとした。圭一の方がずっと辛いと分かっているのに、圭一の前で泣く訳にはいかない。
「多分、お前はまた明日には俺とのことを忘れてると思うから……」