知らぬ間に失われるとしても(68)

「今どれくらい入ってる……?」
「先っぽが入ったくらい」
 まだそんなものなのか。体感の割には全然進んでいない。終わりの見えない状況に、一瞬気が遠くなる。
「一回抜く?」
「駄目」
「旭」
「まだいけるから……もっと入れて」
「でも」
「入れて、大丈夫だから」
 圭一がまた少し中に入ってくる。旭は思わず小さく呻いた。何で。まだ全然入ってないのに。
「おい」
 それを聞き逃さなかった圭一が声を掛けてきた。
「痛いんだろ、お前」
「違う。ちょっと……中がいっぱいなだけ」
「無理すんなよ。今日はもうやめとこう」
「駄目、まだいけるから」
「旭」
「いいから入れろって! ほんとに無理だったら言うから」
 その旭の必死の言葉に、少しの躊躇いの後、圭一が更に少し奥まで入り込んだ。内側から襲う重い衝撃。異物で奥を擦られる鈍い重みに、吐き気のような不快さがせりあがってくる。無意識にぎゅっと眉を寄せてしまっていた。圭一が気付いて、厳しい声を出した。
「お前、どう考えても痛いだろ」
「ちが……大丈夫」
 圭一が体を起こす。
「一回抜くからな」
「駄目だって! 違うから!」
 咄嗟に、両脚を圭一の体に巻き付ける。でも脚に力が入らない。
「旭、どけろって」
「待って、このままでいいから」
「旭!」
「違う、ちゃんとできるから! 駄目だって――」
 しかし、その熱はあっさりと去っていった。
 緩い拘束を振り切った圭一がそのまま体を離し、支えを失った両脚は自然に布団の上に下りる。
「――」
 見上げた視線の先には、旭を見下ろす圭一の顔があった。何度か目にした、その苦しそうな表情。
「……俺が言うまで抜かないって……」
「どう見たって無理してただろ」
「もう一回入れて」
「入れると思うか?」
 冷たく突き放すような圭一の声。旭は、自分が再び失敗したことを悟った。
「お前、何でそんな焦ってんの」
「……俺のこと好きだって言ったくせに」
「は? 何だそれ」
 圭一は不快を隠さずに答える。目を逸らして横を向くと、またベッドの下が見えた。何故か柏崎のことをまた思い出した。せっかく協力してくれたのに。
「好きだから言うこと聞けって意味か? それか、好きだったら痛がっててもやれってことか」
「――」
「おい、旭」
――また、あそこからやり直すのか。
 もう見たくない、あの笑顔。
 あの、記憶を失くした圭一の、失くしたことにも気付かない明るい笑顔。
 親しげに名字で呼ぶ声。
「……お前が俺のこと好きって言ったから、俺は」
 お前のことを好きになったんだ。
「言ったから何だよ。せっかく付き合ってやったのにって?」
 お前が、俺のことを好きだって言ってくれたから。
――何度でも記憶から消し去りたいほど、圭一の無意識は旭を拒絶しているのに。
 もう見たくない。もう呼ばれたくない。
 もう忘れられたくない。また忘れられてしまうのなら、もう――
 耳を塞ぐように顔を覆う。
「……っ」
 熱いものが目から滲み出て落ちた。

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