知らぬ間に失われるとしても(64)

 固くしていた体の力を抜き、少しずつ体重を圭一に預けていく。あごを圭一の肩に載せて、こめかみをその頬に押し付ける。まだ湿ったままの圭一の髪が冷たい。やがて圭一の指が旭の髪に触れた。
 しばらく、そのまま抱き合っていた。旭の髪を梳く圭一の手だけが動いている。
「お前だってさ……俺の言うこと、信じてないんじゃん」
 あくまで柔らかく、冗談めかして、圭一がそう言った。
「違う……ごめん」
「いいよ。分かってるから」
「怒らせてごめん」
「怒ってないって」
 謝っても、もう間に合わないかもしれない。今は穏やかに見えても、明日になったらやっぱり全てなかったことにされているのかもしれない。旭は思わずぎゅっと圭一のTシャツの背中を掴んだ。
「何か、やっぱりちょっとおかしいな、お前」
「……ごめん」
「そんなに引きずってんの?」
「……」
「最初の彼女のことはそんな好きじゃなかったみたいだけど、その子は違う感じ?」
 圭一の肩に額をこすりつけるようにして首を振る。
「お前みたいなやつ振る女もいるんだな」
「……」
「付け込んだみたいでごめんな」
 圭一の中では、旭が失恋したことはもう確定しているようだった。
 もうそれならそれで構わない気もしてくる。どうせ本当のことは説明できない。旭を落ち込ませているのは圭一本人だなんて。
「……俺はこれが好き」
「うん。言ってたな」
「……お前はキスが好き」
「はは。それも言ってたけど、何で俺、そんなことになってんの?」
「好きだったら、したらいいのに」
 そう言うと、圭一は何故かぽんぽんと旭の頭を撫でた。それから体を離して、唇を寄せてくる。口元に笑みを浮かべたまま。
――何でこんなに満たされないんだろう。
 お互いに好きで、両想いなのに。付き合っているのに。圭一はこんなに大事にしてくれるのに。
 何で圭一は旭のことだけ忘れるんだろう。
 このキスも、また明日には忘れられているんだろうか。
 目を閉じたまま、触れる圭一の唇を何度も受け止める。舌を突き出すと、優しく唇で食まれ、舌で舐められる。圭一の首に手を回し、ぶら下がるように何度も引き寄せてキスをねだった。
「旭」
 唇をつけたまま、圭一が旭の名前を呟くように呼ぶ。圭一の首を引き寄せると、体が後ろに傾いて、圭一の腕が支えるように旭の背中に回った。何か言おうとする圭一の唇をキスで塞ぐ。
 そうしてそのまま後ろに体重をかけて、旭の体は布団の上に仰向けに横たわった。旭の体に覆いかぶさったままの圭一が、その唇で頬に触れ、旭の首に顔をうずめる。
「……旭」
 耳元で囁く圭一の声を聞きながら、旭は天井を見上げていた。
――その甘い声の裏で、今も圭一は記憶を失うほどの葛藤を抱えているのだろうか。

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