知らぬ間に失われるとしても(55)

 土曜日、旭は約束の14時ちょうどくらいに着くように家を出たが、待ち合わせ場所のコンビニに着くと、そこには既に柏崎の姿があった。
「あ、ごめん。待たせちゃった?」
「うん」
 柏崎は事実のままあっさりと頷き、コンビニの入り口を指さした。
「何か買ってく?」
「あ、うん」
 二人で中に入り、冷蔵棚やお菓子の棚を見て回る。
「晩飯はどうするって?」
「さあ……デリバリーでも頼む?」
 お弁当コーナーの前で少し立ち止まったが、結局、夕食は圭一にも聞いてからにしようということになり、適当に飲み物やお菓子だけを買った。店を出た後、圭一の家まで並んで歩く。
「そうだ。俺、今日は泊まらないから」
「えっ?」
 横を歩いていた柏崎が唐突にそう言ったので、旭は思わず声を上げた。
「何? 途中で帰るってこと?」
「うん。先輩が迎えに来るから」
「あ……そうなんだ」
 それなら邪魔できないな、と頷きながらも、旭は少し落胆を覚えた。それを見透かした柏崎が、珍しく弁解のような言葉を口にする。
「約束破ったんじゃないよ」
「え?」
「先輩を優先したんじゃないから。俺が頼んだんだ、迎えに来てほしいって」
「え、何で?」
「また付き合い始めたんだろ、原と」
 いつものように、表情のない整った顔がこちらを見る。
「だったら俺がいるのおかしいだろ」
「でも……」
 圭一は知っているのだろうか。もし知らないのだとしたら、いきなり旭と二人になることをどう思うだろうか。
「むしろ、いてくれた方がいいけど。俺は」
「何で」
「圭一がどう思うか分からないし」
「そんなの、喜ぶ以外に何があるんだよ」
 そうなんだろう。普通に考えればきっと。今の圭一も、ちゃんと旭のことを好きだと言ってくれた。でもこの不安は何なんだろう。
 また自分が失敗して、圭一に忘れられるのを恐れているのだろうか。
「……せっかく三人で思い切り遊ぼうと思ってたのに」
「それはまた今度」
「……うん」
 よく考えたら、付き合っている二人と泊まりがけで一緒にいても柏崎の方も居心地が悪いかもしれない。そう思い付いた旭は、それ以上何かを言うのをやめた。柏崎が少しだけ口の端を上げる。
「でも原はそんな風に納得しないと思うからさ」
「え、ああ、そうかもね」
「だから夜、適当な時間に先輩が連絡くれることになってる。それで呼び出されるってシナリオでいくからよろしく」
「あ……うん」
 何となく柏崎が上機嫌に見える。旭や圭一に気を遣ってくれているのはもちろんだと思うが、それでもやっぱり、柏崎も恋人に会えるのが嬉しいのだろう。週末だし、もし予定がなければデートの約束をしていてもおかしくない。
そう悟った旭は、努めて明るい声を出した。
「分かった。じゃあ、また今度遊ぼうな」
「うん」
 頷く柏崎の横顔。そのどこまでも整った横顔。無表情と端的な言葉、けれどそれらに隠された内面は意外なほどに素直で柔らかい。
 その全てを理解して愛おしんでいるであろう恋人と柏崎との関係を、旭はその時、今までになく生々しく意識した。と同時に、柏崎がどれほど美形であろうが、その先輩は絶対に柏崎の外見ではなく、この内面を好きになったのだろうと確信する。
「先輩が忙しい時でいいよ。冬休みとかでもいいし」
「ずいぶん先だな」
 普段、柏崎は自分の恋人についてほとんど話さないし、旭も敢えて聞かないようにしている。でも当たり前だけど、二人もどこかで出会って、何かのきっかけで好きになって、それを相手に伝えて、お互いにお互いを選んで今こうして付き合っているのだ。それは男とか女とか関係なく。
 『柏崎って、男と付き合ってるんだって』。何度も耳にした噂。けれどそういう薄っぺらい情報ではなく、しっかりとした生身の人間関係がそこにはあった。
「……先輩ってさ、どんな人?」
 もしかしたら、その経験があるからこそ、この前わざわざ旭の教室まで来てくれたのかもしれない。ふとそんなことも思う。柏崎も、恋人とすれ違って落ち込んだりしたことがあったのだろうか。
「典型的な陽キャ」
「へえ?」
 あっさりと言い切った柏崎が面白くて、旭はぐんと興味を覚えてしまう。
「バスケ部の先輩で、去年三年だった」
「あー、バスケ部で陽キャって、何となく分かるかも」
「大体そんな感じ」
「今は大学行ってるんだよな」
「うん」
「バスケまだやってんの?」
「うん。クラブじゃなくてサークルで、気楽にやってるみたい」
 そんな風に話しながら、二人は圭一の家まで歩いていった。

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