「で、何する? あ、ゲームする?」
「……ゲームしない」
靴を脱ぎながら明るい声でそう聞いてくる圭一に、旭は思わずオウム返しにそう答えてしまう。
もうずっと、一緒にいる時にゲームなんかしなかった。付き合っていた時なら特に。でも多分、今の旭とは会話が盛り上がりそうにないから、気を遣って圭一はそう言ったのだろう。今の旭といたって、きっと圭一は何も楽しくないのに。
「――ごめん。やっぱり今日は帰る」
靴を脱がないままだった旭は、そう言って再び玄関のドアを開けようとした。「えっ」と声が聞こえた後、後ろから伸びてきた手が慌てたようにドアノブを押さえる。
「待てよ。別にゲームじゃなくていいから」
すぐ近くにある圭一の気配。肩口に触れる圭一の体温。そのまま後ろから圭一に抱き締められる妄想が一瞬頭をよぎった。あるはずのない、純粋に妄想だと分かっている妄想。振り向かないままの旭に、圭一の手が今度は旭の腕を引っ張った。
「上がれって。話もあるし」
強く引っ張られて靴のまま上がりそうになり、旭は慌てて靴を脱いだ。
「話?」
すぐ横の自室のドアを開けて、圭一が背中を押すようにして旭を中に入れる。
「話って?」
「ちょっと待ってて」
鞄を無造作に置いた後、いつものように飲み物を取りに行こうとする圭一に、「いらない」と旭は言った。
「話って何?」
「……そんなにさっさと帰りたいのか」
圭一が硬い声でそう言う。振り向いたその顔からはついに笑みが消えていた。
一瞬、ひやりと胸の底が冷える。しかしすぐに、今の圭一を怒らせたってもう失うものはないことを思い出した。
――いっそ喧嘩別れして絶交してしまえば、楽になるんじゃないか。
そんなことすら考えて立ち尽くしている旭を見ながら、やがて圭一はふっと息をつく。
「いいから、座れって。……待ってて」
なるべく穏やかに話そうと心掛けているような口調でそう言って、圭一はそのまま部屋を出ていった。
旭はしばらく立ったまま逡巡していたが、結局は床の上に腰を下ろした。
「……」
圭一の差し出すマグカップを無言で受け取る。ありがとう、の一言すら、もう上手く出てこない。
「お前さ。もしかして、俺のこと避けてる?」
手渡した後、圭一は静かにそう言った。
「……何で」
「ずっと、昼飯誘っても断ってくるだろ」
「それは、クラスのやつと」
「柏崎となら食うのに?」
「……」
返答できないことをごまかすように、旭はカップに口をつけた。やっぱり気にしていたんだな、とぼんやりと思う。
「俺とは食いたくなかったってことだろ」
「……違う」
「俺、何かした?」
「してない」
旭は首を振った。
「じゃあ何で?」
本当に、圭一は何もしていない。記憶が失われてしまったことは圭一のせいじゃないし、圭一は何も悪くない。きっと、何も知らない圭一からしたら、いきなり旭の態度が変わったようにしか思えないのだろう。
――でも、お前だって最初に言ってたんだよ、『全く今までどおりって訳にはいかない』って。
今なら旭にもその意味がよく分かる。あの付き合っていた二か月の記憶を全て失ってしまった圭一に、どう接したらいいのか分からない。毎日なんでもないことをラインで話して、USJでは一日中一緒に遊んで、何回もキスして、抱き締められる度にその腕の中で安らぎを感じていた。
そんな思い出を俺だけが持っていて、お前は全部忘れてしまっているのに。
「何か怒ってるんだったら、言って」
「……怒ってない」
「でも、俺が何かしたから避けてるんだろ」
「違う」
俯いたまま首を振る。圭一がもどかしそうに溜め息をつく。
「お前さ、いっつもそうやって言わずに我慢しようとするけどさ。何か嫌なことがあるんなら言えって。頼むから」
旭が何にも怒ったりしていないことは、事情を分かってさえいればすぐに理解できることなのに、同時に何も知らない圭一には決して伝わらないことだった。これ以上、圭一を苛立たせたくない。
本当は、ひとつある。言いたいことではなく聞きたいこと。二学期最初の日から、旭がずっと知りたくて聞けなかったこと。