7.リビング
圭一の家に入ると、今日は廊下を奥まで進み、リビングに通された。
「あれ、お前の部屋じゃなくて?」
「あっちだと教えにくいだろ」
確かに、テーブルの類のない圭一の部屋だと、勉強はしにくいかもしれない。圭一はソファに鞄を置くと、キッチンに向かう。
「座ってて」
旭も鞄を置いて、ローテーブルの前で床に腰を下ろした。冷蔵庫が開く音がする。
「何か食う?」
「あ、うん。何かあれば」
圭一が麦茶のポットとマグカップ、煎餅らしき包みをお盆に載せて持ってくる。そしてテーブルの上に置いてから旭の斜め横に座った。旭は鞄から物理の教科書とノートを出した。
「お前さ……最近、頭打ったか何かした?」
麦茶を注がれたマグカップを受け取りながら、旭は聞いてみた。
「え? いや、ないけど」
「そう」
「けどそれ、柏崎にも同じこと聞かれた」
「柏崎くんに?」
意外な言葉に、思わず圭一を見上げる。もしかして柏崎も圭一の様子に何か違和感を覚えていたんだろうか。
「つか、さっき言ってた俺が忘れてる約束って、何だった?」
「え」
あらためて圭一に聞かれ、旭は言葉に詰まった。
――おそらく圭一の記憶は、何故か一部分だけすっぽりと失われてしまっている。
そのことをそのまま指摘してもいいのだろうか。もし伝えたとして、すんなりと受け入れられることではないだろうし、場合によっては強いショックを受けるかもしれない。
「俺、何か変だったりする? 約束のことも全然思い出せないし」
「いや、約束とかじゃないから」
「何だった?」
「もういいって。誤解だったみたい。気にすんなよ」
そう言う旭の表情がさっきとは比べものにならないくらい穏やかになっているからか、圭一は物問いたげな表情をしながらも、それ以上は聞いてこなかった。圭一の視線が教科書に落ちたので、旭は適当にページを開いた。
「どの辺が苦手?」
「えと……全部?」
「まじか」
圭一が教科書を手に取って別のページを開く。
「ここからだろ、テスト範囲」
「あー。見るだけで萎えるわ」
「えーと、だからこれは」
一冊の教科書を一緒に見るために、圭一が近くに寄ってくる。説明しながら教科書の記述を指さすその圭一の指先を見ながら、その爪の丸くて短いのに何となく目が行く。
「――て感じだけど」
「んー」
「分かりにくい?」
「ていうか、嫌い?」
「嫌いじゃねえっつの」
圭一が笑う。駄目だ。せっかく教えてくれてるんだから、ちゃんとやらないと。
「ごめん。ちゃんとやるわ」
「問題解きながらやってみるか?」
「うん」
教科書にある練習問題を解くためにノートを開いて、とりあえず取り掛かった。問題文を読み、解説部分も読みながら、見よう見まねで数式を書き連ねる。
「そうそう」
圭一が励ますようにそう言う。ほとんど解説をそのまま写しただけのようになったが、ひとまず一問を解いた。
「最悪、応用は捨てて、まずはテスト範囲の基礎問題だけやってみるのがいいかもな」
「分かった、そうする。そんでもまだまだこんなあるけどなー」
げんなりしながら、ぱらぱらとページをめくる。