知らぬ間に失われるとしても(18)

6.発覚

 週の明けた月曜日、授業が終わった後に教室を出ると、こちらの教室まで迎えに来た圭一と廊下で鉢合わせた。
「あ、終わってた?」
「おう」
「柏崎くんは?」
「さあ。もう帰ったんじゃね」
「そっか」
 そのまま一緒に学校を出て、圭一の家に向かう。この週末にも旭はずっと圭一のことを考えていて、お陰でテスト勉強なども全く捗らなかった。
 そして考えれば考えるほど、もしかしたら圭一は全部なかったことにしたいのだろうか、という疑念が徐々に膨らんできていた。
 そもそも付き合いたいと言ったのは圭一なのだから、そんなに軽々しく翻意するなとも思うけど、百歩譲って気が変わってしまったのだとしたら、なかったことにせずにきちんとそう言ってほしかった。
 と言うより、いつもの圭一だったらはっきりと言いそうなものなのに。
「――圭一」
 とにかく、今日は圭一の家に着く前にその辺りをはっきりさせておきたい。やっぱりやめるということなら、普通の友達に戻るだけだからそれでも構わない。でもそれをごまかしたままにするというのは、全く別の問題だ。
「ん?」
「この前言ってたことさ……どう思ってるわけ」
「この前って?」
 圭一はあっさりとしらを切る。最後の信頼感のようなものが、その時に崩れた。
「だから、この前お前んちに行った時のことだよ」
「え?」
 圭一はきょとんとする。
「何か約束とかしてた?」
「……は」
「ていうか、お前が前にうち来たのっていつだっけ。だいぶ前だろ」
 旭は思わず立ち止まって、呆然と圭一を見た。
 そんな見え透いた嘘まで吐いて、うやむやにするつもりなのか。気付いた圭一が振り返る。
「黒崎?」
「……もういい」
 旭は足を速めた。圭一を追い抜いてそのまま歩き続ける。もう一人で家に帰るつもりだった。
「おい、待てって」
「分かったよ。なかったことにするんだろ!」
 振り返らないまま、大声で捨て台詞を吐く。
「だったらそう言えばいいだろ! 変にごまかしたりしないで!」
「黒崎!」
 慌てて追ってきた圭一に腕を掴まれたが、旭は振り払った。
「触んな!」
「何怒ってんだよ」
「はあ?」
 こんなやつだったのか。思い切り睨みつけても、圭一は戸惑うような演技をやめない。
「帰る」
 圭一を振り切って、旭は更に歩を進めた。怒りと同じくらい、悲しいような泣きたいような気持ちだった。あの時に自分を抱き締めていた圭一の温かさが頭をよぎる。あの温もりの中にあった安心感が知らないうちに決意の拠り所になっていたのだと、今になって自覚した。なのに。
――こんな風に、親友を失うのか。
「明日からも、もう話し掛けんなよ」
「ちょっ、待てって!」
 もう一度圭一が腕を掴んでくる。再び振りほどこうと思っても、今度は離れなかった。
「まじで、何で怒ってんだよ。俺、何かしたか」
「離せよ!」
「黒崎」
 振り回した腕に、ぎゅっと圭一の指が食い込む。
「まじで覚えてない、ごめん。何か約束してたんなら教えて」
「――」
「今からでも間に合うこと? だったらちゃんとやるから」
 その表情も口調もいつもの圭一のままだった。かつて信頼していた友達。これが全て演技だと分かっていなければ、こんなことになっていなければ、ずっと友達でいられたのに。
 旭がぎゅっと眉根を寄せて睨みつけているのを見て、圭一がむしろ心配そうな表情を浮かべる。
「黒崎。頼むから教えて」
「……つい先週のことも覚えてないって言うつもりかよ」
「え?」
 圭一が真面目な顔で旭を見返す。
「先週?」
「しらばっくれんな」
「だってさっき、うちに来た時のことって言わなかったか」
「そうだよ」
「でもお前、最近うち来てないだろ」
「はあ?!」
「お前に彼女できてから、一回も来てないだろ? いや、ほんとは別れてたみたいだけどさ、俺この前まで知らなかったし」
 あんまり誘わないようにしてたし、という圭一の言葉は、ついこの間も聞いた内容だった。一瞬、旭は激しい混乱を覚えた。
「……お前、それまじで言ってんの」
「だから、まじって何だよ。こんな時に冗談言うかよ」
 真剣な表情を崩さない圭一の顔。それはいかにも圭一らしい、旭のよく知っている表情だった。ごく自然な、いつもの圭一のままの。
 そうだ。むしろ変にごまかす方が圭一らしくない。今までの違和感を思い出し、そしてあり得ないひとつの解を思い付く。
――もしかして、ごまかしているんじゃなくて。
「……まじで覚えてないの」
「何を?」
 付き合うことを、と答えかけて、口をつぐむ。もし圭一がやっぱり『覚えていない』と答えたら、どうすればいい。そう言われても、旭にはそれが嘘なのか本当なのか分からない。そしてそれ以上聞くこともできず、わだかまった不信感はこの先ずっと消えないだろう。
 本当に、全部覚えていないのか。それだけを確かめることができれば。
「お前……」
 どうやって聞こうか迷う前に、旭は無意識に一番確かめたかったことを口にしていた。
「……俺のこと好き?」
 圭一が驚いたように表情を変える。
 旭が静かに腕を引くと、力の抜けていた圭一の指はそのまま離れた。

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