「お前、昨日そんな大変だったの? 宿題」
翌朝、また下駄箱の前で出くわした圭一が、笑いながら聞いてくる。
「え? いや、別に」
「珍しくラインなんかしてくるからさ、よっぽどかと思ったわ」
その少し揶揄するような圭一の言葉に、旭はかすかにいらっとする。自分なりに考えて送ったのに、ばかみたいじゃないか。
「嫌ならもう送らんし」
「え、別に嫌じゃないけど」
「お前だって送ってこないしな」
「え? 何を?」
旭が少しだけ険しい表情をしているのに気付いたのか、圭一が笑みを引っ込める。
「黒崎? どうした?」
「どうもしない」
「何で怒ってんの」
「怒ってない」
その口調が既に怒っている。確かに旭の方からどうしたいかを伝えるべきとは言え、自分だけが頑張らないといけないのもおかしくないか。
「あ……今日、昼食う?」
少しだけ困ったような顔をしながら、圭一がそう言った。そう言えば、最近はこの誘いが増えた気がする。もしかしてそうやって圭一も一応頑張っているのか、と思った旭は、少しだけ機嫌を直した。
「いいよ」
「今日弁当?」
「うん」
「じゃまた屋上な」
「うん」
圭一のクラスの教室の前に差し掛かる。開いた扉の向こうに柏崎が座っているのが見えた。旭に軽く手を上げて中に入ろうとしながら、圭一が言った。
「柏崎も誘っとくから。じゃな」
「え? ちょ」
旭の言葉が耳に入らなかったらしき圭一が、そのまま自分の席に近付きながら柏崎に挨拶しているのが見える。柏崎は旭に気付いていたらしく、こちらに向かって手を上げてきた。旭も軽く上げて応えた後、とりあえず自分の教室の方に向かう。数日前から感じているもやもやがまた大きくなっている。
――何かおかしくないか。
「来週からテスト一週間前だなあ」
やっと梅雨の気配を見せ始めた曇天の下、屋上で弁当を食べながら、圭一が呑気な声を出す。
「ついこの前中間が終わったとこじゃん」
「なあ」
「俺、物理が全然分かってないんだよな」
旭が何気なくそう言うと、柏崎が真面目な顔で「黒崎くんは苦手そうだよね」と言った。
「え、何で?」
「文系の顔してる」
「どんな顔だよ!」
柏崎とはもう普通に友達になったのだけど、未だに『柏崎くん』『黒崎くん』と呼び合っている。距離感の問題というより、もうニックネームのような感覚だった。
「柏崎くんは理系得意なわけ?」
「いや、そうでもない。一番好きなのは英語かな」
「ああ、英語ならまだ俺もいける」
「原、お前、理数得意じゃん。教えてやれば?」
柏崎の言葉に、圭一は事もなげに「おう。いいよ」と答える。去年もそう言えばよく教えてもらっていた。
「来週になったら部活なくなるしな」
「んじゃ、どっかでお前んち行くわ」
「うち?」
意外そうな圭一の問い返しに、旭は思わず顔を上げた。
「うちでもいいけど、どうせ遊んじゃうだろ。教室でよくね?」
「……いいけど」
「柏崎はどうする?」
「俺はパス。自分でできる」
「そっか」
――何だよそれ。
柏崎の方を見ている圭一の横顔を凝視する。むしろ旭と二人になるのを避けようとしているような言葉。
ここしばらく積もり積もっていた違和感が、今はっきりと胸の中で嫌な重さを持ち始めた。
今までと変わらない、というより。
敢えて変えようとしていないのか。……というより。
もしかして、なかったことにしようとしているのか。
「お前、ばかだな」
柏崎が圭一に声を掛ける。
「放課後の教室なんかでできる訳ないだろ。帰宅部がいつもどんだけ騒いでると思ってんだよ」
「え? まじで?」
「だよな、黒崎くん」
この中で唯一帰宅部の旭に、柏崎が聞いてくる。
「……ああ、まあ俺もそんな残る方じゃないけど……女子とかは喋ってるかも」
内心の混乱を隠しながら、旭は何とか平静を装う。
「ちゃんと家で教えてやれよ」
「まあ、そんならうちでやるか」
圭一が特に嫌がる様子もなかったので、旭は少しだけほっとした。
「んじゃ、早速月曜日にやる?」
そう言った圭一がいつものように柔らかく笑っているのを見ながら、旭は「うん」と頷いた。