知らぬ間に失われるとしても(16)

5.違和感

――とは言え、昨日の今日でどんな顔をして圭一に会えばいいのか。
 翌日、絶えず前方に圭一の姿を探しながら、旭はいつもの急な坂道を歩いていた。見慣れた背中は今のところ視界の中にはなく、歩いているうちにそのまま校門前に着いてしまう。ほっとしたような期待外れのような、落ち着かない気分で前庭を通り抜けて下駄箱で靴を履き替えていると、後から圭一が入ってきた。
「――」
「おー、黒崎。はよ」
 一瞬言葉に詰まった旭とは対照的に、圭一は何もなかったかのように能天気に挨拶してくる。
「……はよ」
「て言うか、まじ暑くね? 今年は雨降らないよなあ」
「ああ、うん、そうだな」
 思わず違和感を覚えるほどに、圭一の態度は普通だった。少し離れた場所で靴を履き替える圭一の後姿をつい見ていると、圭一が振り返る。
「黒崎、今日も昼飯一緒に食う?」
「え? あ、ああ、いいよ」
 付き合ってるんだしな、と一瞬思ったが、もしかしたらいつものように柏崎も一緒なのかもしれない。だったら別に今までと変わらない。
「柏崎くんも?」
 念のため聞くと、圭一は笑いながら言う。
「はは、お前あいつ好きだもんな。ちゃんと連れていってやるって」
「え? いや」
「ん?」
「……ああ、うん」
 上履きを履き終わった圭一と一緒に教室へと向かう。
 てっきり二人きりなのだと思ったけど、違うのか。肩透かしを食らったようにも思えたが、もしかしたら学校では今までどおりにしたいのかもしれない。いきなりいちゃつきだしたらおかしいしな。他の人間にもばれるし。……そもそも圭一といちゃつくところが想像できないけど。
「じゃあ後でなー」
 そう手を挙げて、圭一は自分の教室に入っていった。

 それから数日、圭一の自分に対する態度を見るにつれ、旭は違和感を強めていった。
 あの日、お昼を一緒に食べるために落ち合った時、圭一は当然のように柏崎を連れてきた。別に柏崎が一緒なのは全然構わないけど、付き合ってたら普通は二人で食べるものなんじゃないだろうか。
 普段は圭一は放課後に部活に行くので、当然一緒に帰ったりもしない。朝も特に一緒に行く約束もしていない。夜にラインや電話が来る訳でもない。要するに、付き合う前と何も変わっていない。
 変わらない方が楽であるとはいえ、何となく落ち着かない状態が続いていた。仮にではあっても、試すためにわざわざ付き合うことにしたのに、これでは何も確認できないじゃないか。
 夕食後、自分の部屋で机に向かって宿題をやりながら、旭はいつの間にかまたぼんやりと圭一とのことを考えていた。そしてふと一つの可能性を思い付く。
 もしかしたら、旭の方から行動して、自分の許容範囲がどこまでなのかを圭一に示す必要があるのだろうか。
 中学の頃から、二人で何かする時には、圭一が提案して旭が承諾するという形が自然に出来上がっていた。お互いにとってそれが楽だったからだが、今回に限ってはそうなるのを避けているのかもしれない。キスした時のことを考えても、圭一の部屋を出る時の最後の台詞を考えても、圭一がそう考えている可能性が高い。
――『俺に流されるんじゃなくて、自分がどう思うか考えろ』。
 あの時、圭一はそう言っていた。
 もしかして、旭からの行動をずっと待っているのだろうか。
 勉強机の上で開かれたノートのページは真っ白で、宿題はさっきから一向に進んでいない。旭は無意識にスマホを手に取った。
 元カノと付き合っている時、旭からはめったに連絡しなかった。向こうから連絡が来た時だけ返事していたが、どうでもいい話にコメントするのが苦痛な時もあったし、春休みにしばらく連絡がなかった時にもやっぱり旭からは連絡しなかった。――おそらくそれで別れることになったのだと思うけど。
 何か送っておいた方がいいのかな。
 そう思ってアプリを立ち上げて圭一とのトークを開いてはみたが、何を書けばいいのか全く思いつかない。元カノに限らず、雑談のためのラインなんて普段からしないし、毎日学校で会っている圭一とわざわざ夜に話すような用もない。
――なんて思っているから駄目だったんだよな。
 しばらく考えてから、とりあえず適当に送ってみる。
『宿題めんどい』
 そのまま見ていたら割とすぐに既読になって、直後に『がんばれ』と返ってきた。
――いやいや、もう少し話を広げろよ。
 思わず心の中でつっこむ。
 それでも何となく一応の義務は果たした気になったので、旭はもう返事は送らず、そのままスマホを置いた。

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