知らぬ間に失われるとしても(11)

「――圭一」
「ん?」
「……俺さ」
 圭一なら受け止めてくれるかもしれない。そんな甘えも自覚しながら。
「あんな軽々しく付き合ったりするんじゃなかったって……今は思ってて」
 言いながら、頭の中には自然とあの日見ていた光景が甦ってきた。
 彼女ができたことを最初に報告したのも圭一だった。告白されてそのまま付き合うことになったあの日、風が強かったあの帰り道。
 一緒に帰りながら、毎日歩くあの坂道を下りきって川沿いの道に出る辺りで、付き合うことにした、と旭は圭一に告げた。まだ何も知らなかったあの時、浮かれて顔を緩ませながら。
 その時、圭一は多分、へえ、良かったじゃん、とか何とか言っていたと思う。表情は覚えていない。本当はどう思っていたのだろうか。横から見れば愚かな決断に見えていただろうか。
「そっか。……親密な相手じゃなかったから?」
 淡々と圭一が問い返してくる。旭は無言で頷いた。
「でも、付き合ううちに親密になれるって思ってたんだろ?」
 少し自問した後、もう一度頷く。
「……ばかだった」
 そうだった。あの頃は、ただ付き合いさえすれば自動的にそうなれるのだと思い込んでいた。相手のことを知りもしないのに、そこに特別な関係が約束されているように錯覚していた。知りたいとさえ思えなかった相手だったのに。
「挑戦して、結果失敗だったってだけだろ。そんな深刻に考えんなよ」
 案の定、圭一は優しい言葉をくれる。旭の重い心を軽くしてくれようとしている。それが本心でなかったとしても。
 旭はひとつ深呼吸して、気持ちを切り替えた。それからふと思う。
 でも、だったら何で圭一は、そこに妙にこだわっているんだろう。
「お前、軽蔑とかしてたりする?」
「何でだよ。してねえよ」
「じゃあ、何でそんなに突っ込んでくるんだよ」
 顔を上げてそう問いかけると、圭一は一瞬口をつぐんだ。それから別のことを聞いてくる。
「黒崎にとって、親密になるってどういう感じ?」
 それから、旭が答える前に更に言い加える。「俺は?」
「え?」
「俺は、お前にとってどういう存在? 親密?」
「そりゃそうだろ」
「……」
「え? ……違った?」
 思わず不安になって、圭一の認識を確認する。圭一はそれには答えず、じっと旭の顔を見つめる。
「――駄目元で聞くけど。俺は、お前にとっての親密な相手になれないか」
「だから、もう既に親密だろ? お前は違うの?」
「そういう意味じゃなくて」
 圭一の意図を理解しない旭に、更に言うか言うまいか迷っている様子を見せる。
「お前、柏崎のこと普通に受け入れてるみたいだったから。だからちょっとだけ欲が出たっていうか」
「え? 欲?」
「柏崎から告白されたら、考えてみるって言ってたし。俺のことももしかして考えるくらいはできるのかって思って」
「え……?」
 徐々に圭一の言わんとしていることが分かりかけてきて、でもまさかと打ち消す気持ちの方が強くて、旭は薄く口を開けたまま圭一の顔を凝視する。
 その表情は、これ以上ないくらい真剣なものだった。そして何故か少しだけ苦しそうにも見えた。意味を理解すれば、何故圭一がそんなに迷っているのかも納得できた。
――そうか。柏崎じゃなかったのか。
 そうか。やっぱり男だったのか。
 そうか。中学の時に好きだったっていうのは、要するに、
「俺、お前が好きだ」
 圭一が静かにそう言った。
――要するに、俺だったのか。

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