偽りとためらい(97)

「藤代くん。私、今からちょっと非道なことを言います、すみません」
「非道?」
 少し沈黙が続いた後、意を決したように硬い声で話し出したあかりに、高志は怪訝な声で問い返した。あかりがおかしなことを言うのにはもう耐性がついている。
「もし、今日最初にお願いした件を引き受けてもらえるのでしたら、代わりに細谷くんの新しい連絡先を教えます」
「――え?」
 思わずあかりを凝視する。その真剣な顔は、冗談や嘘を言っている表情ではなかった。
「……知ってるの」
「今はまだ知りませんが、そのうち分かると思います」
「何で」
「細谷くんに貸したままの本があるので。多分、近いうちに連絡が来ると思います。借りたまま返さない人じゃないと思うので」
「――」
 思いもよらない形で生まれた希望に、高志は目を見開いたまま言葉を失う。もう二度と会えないと思っていた、今どこにいるのかも分からない茂と、もしかしたら、また。
「すみません、こんな卑怯な取引みたいなことを言って。あの、もし不愉快でしたら」
「いいよ」
「え?」
「いいよ。やるよ。今日?」
 高志の言葉に、今度はあかりがしばし固まる。
「……いいんですか」
「うん。矢野さんがいいなら」
「はい。……私は、大丈夫です」
「そこにあるゴムとローション使うけど、いい?」
 高志がそう言うと、あかりの頬に朱がさす。話の現実味が増すに従って、羞恥心が生じてきたようだった。
「……はい。お任せします。……よろしくお願いします」
 そう言って頭を下げたあかりは、そのまま顔を上げない。高志はあかりのタイミングに任せることにし、その決心が固まるのを待った。先ほどまでの深い失意から抜け、気力が湧いてくるのが自分でも分かった。
 ひとまず今は目の前の課題に焦点を絞る。ソファの背にもたれて、今まで目に入っていなかった部屋の中を見回した。きっとあかりは風呂に入りたいだろう。お互いに服は脱がなくてもいい。それから茂の時のように、最初は指で慣らして、それから。結構時間が掛かると思うけど、ここは何時までだろう。そう言えば、後ろの経験があるかという質問自体には答えないままだったが、暗黙のうちに肯定したことになるのだろうか。まあ、今となってはどうでもいいけれど。

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