偽りとためらい(35)

第12章 あかり

「あれ、矢野さんだけ?」
 その日、あかりが一人で部室で本を読んでいると、ドアが開いて隣のサークルの男子が何人か入ってきた。隣のサークルとは単に部室が隣り合っているだけで、それぞれの活動内容は異なるのだが、伝統的に何故か行き来がある。あかりも入ってきた学生達の顔と名前は一通り知っていた。全員あかりと同じ二回生で、一人は学部も同じだ。
「松下さん知らない?」
「今、みんなで食堂に行っていると思います」
「あっそうなんだ、ありがとう」
 そうやって、入ってきた学生達はまた出て行ったが、同じ学部の男子だけが一人、閉じかけたドアからまた入ってきた。再び本に目を落としかけたあかりは顔を上げる。
「細谷くんは行かないんですか?」
「うん。ちょっとだけいい?」
「はい」
 あかりが読んでいたページに栞を挟んで本を閉じると、茂はテーブルの上に何冊か置かれていた会誌の最新号を手に取った。文芸サークルのメンバーが書いた作品をまとめたもので、年に何冊か発行するのがこのサークルの主な活動だった。
「これ、この作品って書いたの矢野さんなんだってね」
 茂は、その会誌の冒頭に掲載されていた短編小説のページを開いて指さした。当然ペンネームを使っていたが、誰かに聞いたのだろうか。
「……はい」
 あかりは少しだけ気まずく思いながら答えた。何故なら、それはあまり男性が読むにふさわしいと言える題材のものではなかったからだ。
「面白かったよ」
「読んだんですか?」
「うん」
 男性が読んだということも、その感想も意外だった。隣のサークルも漫画とかラノベとかゲームとかそういうものが好きな人間の集まりだから、もしかしたらこの類の作品にも抵抗のない人もいるのかもしれないが、茂もそうなのだろうか。
「何でこういうの書こうと思ったのかなって思って、聞いてみたかったんだ」
 茂は柔らかい口調で言った。
「何で、と言うと?」
「こういう人達が知り合いにいたりするのかなって」
「ああ、いえ、そういうことじゃないです。今のところ知り合いには一人もいません」
 もしかしたらいるのかもしれないけど、いても他人にはあまり話さないだろう。
「BLは普段から読むので、自分でも書いてみようかなと思っただけです」
「あれ? これBLなんだ」
「はい、一応」
 そう言われればそうか、と茂が呟いてから、あかりを見て笑う。
「BLってもっとエロ本みたいなイメージだった」
「よく読まれるんですか?」
「え、BL? いやいや読まないよ。これがBLなら、これが初めて」
「まあ、そうですよね」
「たまたま読んだんだけど、すごく面白かったよ」
 茂はまたそう言うと、立ち上がってドアの方に向かった。
「それだけ。ごめんね邪魔して」
 手を振って出ていく茂に、あかりも手を振り返した。


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