職場ではとにかく仕事をすればよい、という当たり前のことを、旭はここで身を持って学んだ。
仕事に打ち込むことが、この時間をやり過ごすうえで一番楽な方法だった。仕事のことなら他の人ともそれなりに言葉を交わすことができたし、アウェイ感も多少は薄れる。時間もそこそこ速く流れる。そう思った旭は、ただ黙々と仕事に取り組んだ。その態度がゆくゆくは周りからの評価に繋がることまでは、今の旭には見えていなかった。
作業している時、ふと、例のきつい女性スタッフの手が旭に当たり、女性が気付いたように声を掛けてくる。
「あら、あんた汗かいてるじゃない」
そう言って、背中を無遠慮に撫でられた。旭は瞬間的に強い不快感を覚えたが、何とか表に出さないようにして、会釈しながらさりげなく体を離した。汗で濡れたTシャツに触られるのも嫌だったし、Tシャツ一枚しか着ていないせいで布越しに体を触られているような錯覚がした。
日曜日、旭が待ち合わせ場所の交差点に行くと、既に待っていた圭一が笑みと共に手を挙げる。
「旭」
「何だよ、早いな」
どちらかと言えばいつもは時間ぎりぎりの圭一を揶揄するようにそう言うと、「デートだし」と返ってきた。一瞬、返答に詰まる。
「あ、そっか」
「はは。真面目か」
機嫌の良さそうな圭一の表情。二人はそのまま駅へ向かい、電車に乗って繁華街のあるS駅へと出た。
月曜日から金曜日まで五日間働いた後、この土日に旭はようやくバイトから解放された。シフト希望を出す時に土日は休みにしておいたのだが、今考えれば正解だった。圭一は土曜日は部活だから、土曜日は家でゆっくりして、日曜日は圭一と遊ぶ。それでようやく、また週明けからもバイトを頑張れそうだった。
やっぱりこの前圭一の部屋に行っておけば良かったかな、と旭はまた思う。この前からずっと、そこはかとない後悔のようなものが心に残っていた。圭一の家も旭の家も土日には家族が在宅しているし、かと言って平日は旭はバイト、圭一は部活で、圭一の家に行く機会がほとんどない。
その辺のことを圭一はどう思っているのだろうか。見る限り、その表情には不満のようなものはうかがえないけれど。
ぶらぶらと商店街を歩き、両脇に並ぶ店を冷やかしながら思い付くままに圭一と話す。話題は自然と旭のバイトの話になった。なるべく愚痴にならないように気を付けながら、旭は思い付くままに伝えた。
「高校生とか全然いなくてさ、すごいアウェイな感じするんだよな」
「大学生が多いってこと?」
「いや、もっと年上。主婦の人ばっか」
「そりゃめちゃめちゃアウェイだな」
「だろ」
圭一も相槌を打ちながら聞いている。歩きながら店のディスプレイを見ていた旭は、ふと思い出して言った。
「そうだ、Tシャツ、いいのあれば買おうかな。何かすげえ汗だくになるんだよな」
「へえ。やっぱ肉体労働っぽい感じ?」
「いや、仕事は普通に立ち仕事なんだけど、何だろ、緊張かな。気付いたらいっつもTシャツびっしょりでさ」
「まじか。お前、それは緊張しすぎだろ」
「だからさ、たまにおばさんが触ってくるんだけど、やめて欲しいんだよな、濡れてるし」
「触る?」
何気なく出た旭の言葉に、圭一が反応する。
「触るって何だよ。どこ触られんの」
「え? いや、背中とか肩とか、たまにな」
取り立てて気にすることでもないのかもしれない。けれど、汗で濡れた服に触れられることに羞恥を覚えるせいか、旭は触られることに少し過敏になっていた。あれからも、あの女性に毎日どこかを触られている。例えば肩を叩くとか、そんな些細なことなのだけど。