知らぬ間に失われるとしても(23)

「黒崎くん、下の名前、アサヒっていうんだ」
 三人でお昼を食べている時に、ふと柏崎にそう言われた。今日は学食に来ている。
「そう」
「どんな字?」
「一文字で、『旭』」
 空中に書いて示す。
 付き合いだしてから、圭一は旭を下の名前で呼ぶようになっていた。最初に告白された時と同じだ。記憶をなくしても考えていることは変わらないんだなと妙に安心する。
 あの時圭一は、頭を打ったかどうかを『柏崎にも聞かれた』と言っていた。旭の見る限り、旭への告白以外に圭一の記憶が欠けている部分はなさそうだったけど、同じクラスの柏崎から見れば別の何かがあったのだろうか。聞いてみたかったけれど、今のところはまだ聞けずにいた。大体、圭一と付き合っていること自体まだ話せていない。柏崎になら言ってもいい気はしているけれど。
「そう言えば、俺も柏崎くんの名前知らんわ」
「摂」
「セツ? どんな字?」
「摂理の摂」
「まじか。かっこいいな」
「読みにくいけどな」
 付き合うことになってからは、もう特に約束もせずに毎日圭一と昼食を共にしている。そしてやっぱり圭一は柏崎を毎回つれてきた。旭ももうそのことについては何とも思わない。むしろ今になって柏崎だけを締め出す方が嫌だった。
「苗字が長めだから名前は短めにしたんかな、それ」
 圭一が横から聞いてくる。
「多分」
「ちなみに俺は圭一」
「知ってる」
 食い気味に旭がつっこむと、圭一が面白そうに笑う。
「旭は、明け方に生まれたから?」
「え、さあ。知らない」
「小学校の頃、自分の名前の由来を親に聞いてくる宿題なかった?」
「えー、なかったと思うけど……なかったよな?」
 同じ小学校出身の圭一に聞くと、首を傾げられた。
「どうだっけ? あった気もする。俺は知ってるし」
「名前の由来?」
「うん。親父の名前から一文字取って、長男だから『一』」
「原の名前は分かりやすくていいよな、画数少ないし」
 柏崎が今までの苦労をにじませるようなコメントをする。
「でも言いやすいけどな、セツって」
「音はね。先輩もそう言ってた」
 何でもないように答える柏崎の言葉に、どの先輩だろうと一瞬考えたが、すぐに彼氏のことだと気付く。もしかしたらさりげない惚気だったりするんだろうか。
 これから下の名前で呼んでみようかと考えていた旭は、その言葉ですぐにその考えを捨てた。柏崎も、特に旭の呼び方を変えようといった話はしなかった。

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