ふいに圭一が立ち上がる。旭も自然とその動きを目で追う。どこかへ行ってしまうのかと思ったが、すぐ近くに膝をついた圭一を見て、旭は圭一が何をしようとしているのかを理解した。
理解しながら、旭は動かなかった。圭一をこれ以上怒らせたくなくて、その腕が自分の体に回るのを黙って受け入れた。すぐに熱い体に包まれる。男の体なのに、思ったより感触は柔らかい。
「――気持ち悪い?」
囁くように聞かれて、旭は首を振った。別に気持ち悪いとは思わなかった。むしろ、そのままじっと動かずにいるうちに、さっき圭一の言葉で受けた痛みが少しずつ消えていくのが分かった。圭一もしばらく黙っていたが、やがて静かに口を開く。
「すぐに決めなくてもいいから……今、絶対に無理って思ってるんじゃなかったら、とりあえず考えてみてほしい」
圭一が話すと、胸のあたりから直接振動が伝わってくる。
「……うん」
考えるより先に、旭はそう答えていた。圭一が自分のことを好きなのだと、そのことを理解し始めていた。理由も、きっかけも、いつからなのかも分からないけれど、本当にこの自分のことが好きなのだ、圭一は。
元カノのことを思い出す。こんな感触だったかどうか覚えてないな、とぼんやりと考えて、そもそもこんな風に抱き締められたことも、旭から抱き締めたこともなかったことを思い出した。キスした時も、ただその肩に手を置いて、顔を近付けて、唇を付けて、すぐに離して……それでその時にふんわりと髪のいい匂いがしたっけ……。
「――試しに付き合ってみて、駄目だったら駄目だって言って」
思い出していると、また圭一の声が聞こえた。
「付き合うの……?」
「付き合わないと、駄目かどうか分からなくないか?」
「……そうかも」
軽く頷きながらそう答えると、心なしか圭一の手に力がこもった。抱き締められる側ってこんな感じなのか、と思う。悪くない、かもしれない。相手は男だけど。これがもし女の子だったら……多分、胸の感触にだけ気を取られているんだろうな。そういう余計なものがなくていいな。何となく安心できる感じがする。圭一だと。
「別に、今までとそんなに変わらないよな」
「まあ、完璧に同じは無理かもだけど。今まではこんなことしなかったしな」
かすかに笑いながら圭一がそう言う。
「うん」
「しばらく付き合ってみて、駄目だったら正直にそう言って」
「……いつまで?」
「いつでもいいよ」
圭一の指が、愛おしむように旭の髪を梳く。
「でも、断るならなるべく早めな。ショックが浅いうちに」
「うん」
いつもの柔らかい口調に戻っていることに安心する。圭一が離そうとしないので、旭もそのまま動かずにいた。何となく目を閉じた。
「――旭」
圭一の声が聞こえて、それから頬に息がかかり、柔らかいものが触れる。
中学一年の時に同じクラスに原が二人いたせいで、いつの間にかみんな圭一のことを名前で呼ぶようになった。クラス替えがあってもその呼び名は定着していて、旭も自然と圭一のことを『圭一』と呼んでいた。逆に圭一からはずっと名字で呼ばれていた。何も気にせずに。
「……旭」
圭一は気にしていたのかな。そんな素振りは全く見せなかったのに。そう思うと、少しだけ面白くなってくる。
自然と口角が上がって笑いかけていたところに、そのすぐ横にまた柔らかいものが触れて、旭は目を開けた。徐々に近付いていた圭一の唇。また離れて、それから少し位置をずらしてまた近付いてくる。今度こそ、旭の唇に。