続・偽りとためらい(42)

 自嘲気味に高志はそう呟く。高志の名刺を手にして嬉しそうに笑っていた茂。高志の部屋に行ってみたいと言った茂。わざわざ手土産を持って実家の母親に挨拶していた茂。今思い出したって、あの態度に裏があるなんて思えなかった。それでも茂は、あんな風に友達に戻ったかのように振る舞いながらも、常に冷静に判断していたのだ。いつでもまた逃げられるように。
「お前、それで怒ってたのか? だったら全然違うから。隠したりしてない。何でそう思ったんだよ」
 茂の声が聞こえてくる。口元が震え出すのを自覚した高志は、片手で顔を覆った。それを見た茂が、一瞬息を呑み、更に言い募る。
「藤代、本当に誤解だから。お前に隠したりする訳ないだろ」
「……もういい」
「本当だって! 隠したいなんて思ったことない。いつでも教えるから、家だって職場だって、全部」
 上手く声を出せそうにない高志は、顔を隠したまま首を振った。何が本当なのか分からない。茂が必死に話してくれていても、素直に受け止めることができない。
「――藤代、あの時はごめん」
 茂が意を決したように、そう言う。
「何も言わないまま勝手に連絡断ったりして。お前は絶対にショックを受けるだろうって、お前にひどいことしてるって分かってたけど、俺どうしようもなくて……でも、本当にごめん、あんなことして」
 今まで決して触れようとしなかった一年前のことを、茂が初めて真正面から話し出した。それはきっと、茂なりの最大限の意思表示だった。
「でも、もうあんなことしようなんて思ってない。絶対にしないから。何だったら実家の住所だって――」
「……もういい」
「いいって、何が?」
 呼吸を整えてから、高志は手を降ろして顔を上げた。視線の先には、眉根を寄せてこちらを見つめる茂の顔があった。高志が答えるのを待っている。
「分かったから」
 でも駄目なのだ。高志は思わず顔を歪める。こうやって、高志が目の前の男の顔に目を奪われる限り。そうやって心配そうに高志を見つめる茂の心に、別の恋人が存在する限り。
 それが本当に誤解だったのかどうか、茂の言葉を信じていいのかどうか、高志にはもう考える気力がなかった。いずれにしても、それは既に本題ではなくなっていた。誤解が解けたからといって、もう今までどおりの友人に戻ることはできない。戻りたくない。茂の問題ではなく、高志の問題だった。友達に戻ろうとして失敗した、高志の方の問題だった。
「誤解だったのは分かった」
「……うん」
 頷く茂の顔を見ながら、高志は静かに自分の結論を伝えた。
「でも、もうお前とは会わない」
「――」
 茂が、高志の顔を凝視したまま固まった。しばらくして、ようやく声を絞り出す。
「……誤解なのに?」
「……うん」
「まだ何か怒ってるのか?」
「怒ってない。……そういうのじゃない」
「……じゃあ何で……」
 言葉を失った茂が立ち尽くしている。その様子が痛々しくて、高志は思わず目を逸らした。
――そうか。同じなのか。
 あの時のお前みたいに何も言わずにいなくなっても、あるいは今の自分のように言葉にして伝えても、どちらも結局そう変わりはしないのだ。どちらにしても、きっと同じくらい辛い。  
 色を失ったその表情から、茂にとっても高志との友情はちゃんと大切だったのだということを、高志は今更ながらに理解した。
「……ごめん」
 それきり、沈黙が続いた。部屋の中で二人とも立ち尽くしたまま、時間だけが過ぎていく。床に目を落とした高志には、茂の足先だけが見えていた。

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