続・偽りとためらい(17)

 そのまま運転席に乗り込み、ゆっくりと車を外に出して、いったん路肩に停める。「乗って」と茂に声を掛けながら、門扉を閉めるために再び降りようとすると、玄関から妹が出てきた。ちょうど出掛けるところらしく、高志が行く前に門扉を閉めてくれる。それからこちらに近付いてきて、
「ねえ、駅で降ろして」
と言うと、高志が答える前にさっさと後部座席に乗り込んだ。高志も運転席に乗り込み、助手席の茂に声を掛ける。
「悪い、先に妹を駅まで送る」
「全然いいよ」
 茂は笑いながらそう言うと、後ろを振り返って「こんにちは」と挨拶している。高志は車を発進させた。
「お兄さん明日まで借りるね」
「どうぞどうぞ」
 妹も飄々と答える。スマホを操作しながら、「別に返さなくてもいいですよ」などと軽口をたたいている。
「高志くん、お土産、何か美味しいやつ」
「うどん買ってくる」
「うどん以外で」
 兄妹の会話を、助手席の茂が面白そうに聞いている。
 ほどなく駅に着いてロータリーの隅に一時停車すると、妹が「ありがと」と言って車を降りた。茂が助手席から窓越しに会釈している。妹も軽く頭を下げてから、足早に駅の階段を昇っていった。
「お前、妹さんに『高志くん』って呼ばれてるんだな」
 茂が振り返って、笑いながらそう聞いてきた。
「ああ。何か昔からそう」
「仲いいなー」
「そうか?」
 停車したまま、高志はひとまず旅館の場所をナビにセットした。それからさっき借りたETCカードを車載器に差し込む。
「行くか」
「おう」
 ゆっくりと車を発進させ、駅のロータリーを出て、高速道路のある方へと走り出す。
「この車の保険ってさ、俺も運転できるやつ? 疲れたら運転代わるよ」
 いつものように、茂が機嫌の良さそうな声色で話す。
「保険は多分いける。でも運転で疲れたことないけどな」
「あー分かる。俺もそうかも」
「あ、運転したいか?」
「いや、藤代が大丈夫なら別にいいよ」
 ふと家を出る時にラジオのボリュームを絞ったままだったことに気付き、高志は少し音量を上げた。どこかで聴いたことのある明るい洋楽が流れてくる。
「なあ、お前は妹さんのこと何て呼んでんの?」
「え? 普通に、名前で呼ぶかな」
「そうなんだ」
「何で?」
「いや、何でもないけど。他の家族の話って聞いてて面白くない?」
「面白いか? うちの家族でも」
「うん。面白い」
 しばらく住宅街を走っていると、東西に伸びる高速道路の下を走る幹線道路に出た。右折して下道に入り、やがて入口から上がって高速に乗る。問題なく車線に合流し、車の流れに合わせて高志は少しスピードを上げた。
「細谷んとこは、お兄さんが一人だっけ?」
「そう。この前結婚したばっか」
「まじで。おめでとう。何歳違い?」
「四つ上。だから、兄ちゃんも大学はこっちに出てきてたんだけど、ちょうど俺と入れ替わりに実家に帰った感じ」
「へえ、帰ったのか。そっちで就職して?」
「うん。公務員になった。今は県の職員やってる。彼女とは高校の時からずっと付き合っててさ」
「大学に行ってる間、彼女は地元に残ってたってこと? 四年も遠距離だったのか」
「うん、まあでも大学って休み長いし、結構しょっちゅう帰ってきてた印象だったけどなー」
「十年くらい付き合って結婚したってことだよな」
「そうだな。そう考えると、やっぱ長いか」
 本当にそういう人もいるんだな、と高志は思った。多分、高校生の時の自分がぼんやりと思い描いていた人生はそんな感じだったのだろう。今ならそれがある程度は希少なことだと分かる。
「兄ちゃんはそのうち農業の方も継ぐつもりだと思うんだよね。そういうのもあって、実家には初めから戻るつもりだったし、彼女とも結婚するつもりだったんだろうな」
「へえ。若いうちからそんな色々考えてるって、すごいな」
「んー、何かさ、選択肢が少ない方がむしろ良かったりすることもあるんだろうなって思う」
「ああ……ちょっと分かるかも」
「俺はさ、兄ちゃんのお陰で割と自由なんだけどさ。その分、仕事については色々考えたかなあ。まあ、いざ就活ってなると選択の余地なんかなかったけど」
 確かに、茂は大学の時にも、進路に関しては早いうちから考えているなという印象があったが、そこには兄の影響があったのだということが今になって分かった。お互いの家族の話をしたことがなかった訳ではなかったが、今まで知らなかった茂の一面を一つ知ることができた気がする。きっともっと知らないことがたくさんあるのだろう。
 週末ではあるが、車は比較的スムーズに進んでいる。高志は無理にスピードを出さず、終始左車線のまま、落ち着ける速度で運転していた。茂が隣に乗っているだけで楽しかった。

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