偽りとためらい(68)

 コンビニから戻ると、バスルームから水音がしていた。高志は靴を脱ぐと、冷蔵庫から缶チューハイを一本取り出して、居間に戻った。
 飲みながらしばらく待っていると、茂がバスルームから出てきた。高志に気付く。
「悪い。タオルと、何か着替え借りてもいいか。下だけでもいい」
「うん」
 茂は寝室に入ると、しばらくしてタオルとスウェットを持って出てきた。
「俺の服、小さいかもしれないけど」
「とりあえず借りる。サンキュ」
 受け取ると、高志はバスルームに向かった。いつものように全身を洗い、買った歯ブラシで歯を磨く。シャワーを止め、体を拭いて、ひとまず下だけ履いた。借りたスウェットは少し丈が短く感じたが、一応入った。
「履けた」
 バスルームを出て茂にそう言うと、茂は曖昧に笑って頷いた。
 ビールを飲んでいる茂の斜め前に座ると、高志もさっき開けたチューハイを飲んだ。肌の湿気がある程度取れたところで、自分のアンダーシャツを着る。
「お前、ビールって美味いと思うの」
 いつものように少しずつビールを飲んでいる茂を見て、高志は聞いてみる。
「美味いっていうか、慣れたって感じ」
「ふうん」
「……藤代、最近どう」
「え? どうって何が」
「彼女とかできた?」
「だからできないって」
 高志は答えながら、前も同じ会話をしたことを思い出した。
「もしかしてまたキスしたいのか?」
「……お前は何で俺とキスするの」
「え? お前がしてくるからだろ」
「嫌じゃないの」
「……それ、前もしつこく聞いてきたし」
 もう答えた、と高志がぶっきらぼうに言うと、茂は黙って頷く。
「本当は、最近はお前をあんまりここに呼ばないようにしてた。……ごめん」
 茂が、ぽつりと打ち明ける。高志は静かに理由を問うた。
「何で」
「……キスしたくなるから」
「え?」
 予想外の答えだった。
「それ、今更過ぎないか。今まで散々してただろ」
「……」
「お前がさっき言ってた、俺が嫌な思いするって、まさかそれか」
 高志は若干呆れた口調で聞いたが、茂は首を横に振った。
「違う。……今から言う」
 茂は座卓に手をついて立ち上がった。
「言うけど、やっぱり泊まらなくていい。いつでも帰っていいから」
 そう言いながら居間の入り口の方に歩み寄り、茂は部屋の電気を消した。
「そんで、次に会った時も、もう俺のこと無視していい。友達をやめていい」
「……何言って……」
 窓の外からの光で、暗闇でも茂のシルエットは見えた。その影は高志のそばまで歩いてくると、そのまま膝をついた。表情は見えない。
「――」
 キスされるのかと思ったが、近付いてきた茂の顔は高志の肩口へと逸れた。
「……藤代」
「……何」
 茂の両腕が高志の首に回る。茂の頬が高志の頬に触れる。キスとは違う初めての接触に、高志は硬直した。茂の体から、細かい震えが伝わってくる。
「……お前、震えてないか」
 高志が気付いてそう言うと、茂の腕に力がこもった。
「ごめん」
「じゃなくて」
「藤代、ごめん」
 茂の声を聞いて、それが震えではなく押し殺された嗚咽であることを高志は知った。
「……細谷」
「藤代……俺とセックスして」
 茂は声にならない声でそう言った。


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