偽りとためらい(3)

 あかりの耳にすら入るほど、もうそのことが広まっているのか。それは、この座敷に入った途端に空気が変わった理由であり、近くの席の同級生達の態度がぎこちなかった理由だった。
 そして、あかりに対する落胆を覚えた。あまり話したことはなかったものの、今まで同じゼミで過ごしてきた中で、彼女に対して悪い印象はなかった。でも本当はひどく無神経な人間だったのだろうか。特別親しくもなかった相手に、こんなタイミングでこんな質問をわざわざしてくるなんて。少し気を許しかけていたことが悔やまれた。
 ちらりとあかりの顔を横目で見てみると、高志の表情をじっと見つめていた。
「それで、何」
 先を促す。どうしても少し声が冷たくなってしまう。
「あっ、はい。あの、ごめんなさい、不愉快になりましたよね」
「……別に」
「本当にごめんなさい。しかも、今から、更に失礼な質問をしてしまうと思います……もし答えたくなければそう言ってください」
 あかりは、そこで再び言い淀んだ。さっきよりも更に長い時間、言葉を出せずに口を開いたり閉じたりしつつ、眉根を寄せて俯いている。
 高志もやはり先程と同じように、急かさずに待った。待つというより、放置しておいたという方が正しいかもしれない。
 あかりは、結局言い出せなかったようで、「すみません、ちょっと待ってください」と言って離れていった。引き留めるまでもなく、まあいいかと高志がまた一人の世界に戻ろうとすると、あかりが自分の荷物を持って戻ってきた。
「筆談でもいいですか」
 メモとペンを取り出して、あかりがそう言う。
「何だよそれ」
「すみません……どうしても口では言いにくくて」
 じゃあやめておけよ、と心の中で呟く。
 再び横目で見てみると、あかりは文字を書くのにも躊躇いがあるようだった。やっと何かを書き出したが、ペンを持つ手が震えている。テーブルの上で書けばいいのに、こちらに見えないように自分の手元で書いている。何故か正座している。
「……お願いします」
 ようやく書き終えて、裏返しにしたメモをテーブルに置く。もはや明らかに手が震えている。「無理なら構いませんので」と俯いて言った。
 高志は一拍おいてからメモを手に取り、書かれた内容を読む。震えた字でこう書かれていた。
『うしろでしたことはありますか』
 高志は少し呼吸を止めてから、数秒して深く息を吐いた。何となく、諦めと表現するのが一番しっくりくるような気分だった。あかりは正座して俯いたまま、膝の上でぎゅっと握った手を震わせていた。ただの興味本位というには悲壮感があった。
「……何かの罰ゲーム?」
 静かにそう聞くと、あかりは眉根を寄せた表情で顔を上げ、首を横に振った。
「……いえ、私がお聞きしました。すみません」
「何でこんなこと知りたいんだ」
「失礼なのは承知しています。申し訳ありません」
 深く頭を下げて、そして再び顔を上げた。
「藤代くんさえ良ければ、理由を説明させてもらえますか。その上でやっぱり答えたくないと思ったらそう言ってください」
 その様子からは、単に興味本位というよりも何か具体的な理由があるように思われ、高志は少しだけあかりの話を聞いてみようかという気になった。何かは分からないが、もしきちんとした理由があってこのような話をしているとしたら、その方がいい気がした。単に無神経な人間だった訳ではなかったということだから。
「時間かかる?」
 テーブルには、ちょうどデザートのシャーベットが配られているところだった。
「はい、できれば」
「じゃあ、ここ出た後で」
 ありがとうございます、とあかりがまた頭を下げた。
 それから、二人とも黙ったまま、並んでシャーベットを食べた。

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