知らぬ間に失われるとしても(82)

 いつもの坂道を降りて、いつもの川沿いの道を歩く。圭一の歩く速度は明らかに普段よりも遅くて、足を引きずるように歩を進めている。
「――なあ。もうやめろよ」
 旭は、真剣な声でそう言った。
「そんなことしてたら、そのうち体調崩すか事故に遭うかするって。もしかしたら眠っても忘れないかもしれないんだから」
「でも忘れるかもしれないし」
 間髪入れずに圭一が言う。
「言っただろ。全然寝てない訳じゃないから」
「とか言って、明らかに足りてないだろ」
「そのうち慣れると思うんだけどなー」
「ばか。そんなネットの情報なんか鵜呑みにすんなよ」
「……」
 圭一は何も言わず、眠そうに笑った。
――違う。圭一を責めても仕方ない。
 圭一がこんなことをしているのは俺のためでもあるのだ。そして旭は、さっき柏崎と話しながら頭をよぎったことを思い出した。
「――なあ、お前、前に俺が怪我したこととか気にしてたりしないよな」
「ん? 怪我?」
 この前圭一が記憶を失くしてしまった時だって、旭が少し痛そうにしただけでやめてしまったし、最初に記憶を失くした時はキスくらいしかしていない。だから、怪我をさせることが記憶喪失のきっかけということもないだろうけど。
 関係ないと思いながら、話題を変える意図もあり、旭は話を振ってみた。
「ほら、小五の時の」
「お前、怪我してたっけ。どんな?」
「足をちょっと切ったくらいだけど。覚えてない?」
「んー……ちょっと今、頭働いてない」
 別にトラウマとかはなさそうだな、と旭は思った。
「ちなみに、大丈夫だった?」
「え、怪我? うん、全然。軽いやつ」
「何で? 俺のせいだった?」
「え、いや、違う」
 小学五年生の時、旭はちょっとした怪我をした。
 その頃、何故か遊具から飛び降りるのが流行っていたのだ。小学校の校庭で毎日遊んでいた頃。特に男子はみんな、滑り台を滑り降りる代わりに飛び降りたり、ジャングルジムから飛び降りたりしていた。
 旭はあまり得意ではなかったのだけど、いつものように放課後にみんなで遊んでいる時に、珍しく挑戦してみる気になった。ジャングルジムから飛び降りたところ、着地の時にバランスを崩し、倒れ込んだところに運悪く尖った石か何かがあって、ふくらはぎの横を切ってしまった。
「……何か、ちょっと揉めただろ。もう遊んだら駄目みたいになって」
 同じ時期にもう一人怪我したやつがいて、何故か二人の怪我はリーダー格だった圭一のせいだということになった。圭一が二人に無理やりやらせたのだと。当然、それ以降は飛び降り行為は禁止されたし、一時はあまり遊ぶなということになったような気がする。
 圭一の母親が圭一を連れて旭の家に謝罪しに来た時、旭は応対した母親に精一杯訴えた。自分がやりたかったからやったのだと。圭一が無理強いした訳じゃないし、圭一と遊べなくなるのは嫌だと。
 結構大事になったと思うのだけど、圭一は覚えてないのだろうか。

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