第8章 12月
翌週の月曜日、外で夕食を済ませた高志は、帰宅して着替えると再び外出した。徒歩数分の距離にあるジムへと向かう。近いため、ジムの更衣室やシャワールームは使用せず、いつも家からトレーニング用のウェアを着て行き、終わったらそのまま帰宅して家でシャワーを浴びることにしていた。
この時間はいつも、仕事帰りと思われる男女で比較的混んでいる。今日も、専用のキーでドアを開けて中に入ると、そこそこの数の会員が思い思いに汗を流していた。トレッドミルなどでカロリーを消費している人、様々なマシンで鍛えている人、ダンベルやバーベルを使用している人などが、それぞれの目的を持って黙々とトレーニングしている。高志が目当てにしているフリーウェイトゾーンも、日によってはラックが全て使用中のこともあるが、幸い今日は一つ空いていたので、待つことなく使うことができた。
バーの両横にウェイトをセットして、スクワットから始める。アップ代わりにまずは軽めの負荷で行った。規定の回数をこなした後にインターバルを取り、水分補給する。徐々に負荷を上げていく。淡々とそれを繰り返した。スクワットを終えると、ウェイトをいったん戻してバーの高さを調節し、次のメニューに移った。バーベルの次はダンベル、そしてマシンと、まんべんなく各部位を鍛えた。
一時間ほどトレーニングして、入念にストレッチしてからジムを出る。気が向いた日にはトレッドミルで有酸素運動を行うこともあるが、そこまで興味がある訳でもないため、やらないことも多かった。体温の上がった体を夜風で冷ましながら歩く。何気なくスマホを確認すると、ラインが来ていた。
茂からだった。
「――」
息を呑んで、一瞬立ち止まる。それからすぐにまた歩き出した。歩きながらその通知を、来るなんて思ってもみなかったメッセージの存在を告げてくるその表示を高志はしばし凝視した。待ち受け画面に表示されているプレビューには、『試験やっぱり駄目だった』というメッセージがあった。アプリを立ち上げて開いてみたが、続きはなく、それが全てだった。
――そうか。結果が出たのか。
試験結果は12月中旬に発表されるといつか聞いたことがあった。知ってはいたが、この連絡が来るまで、高志はそのことを全く意識していなかった。茂のことを思い出さないようにしていたので当然ではあったが、必要のない罪悪感をかすかに覚える。
結果が出て、すぐに自分に連絡をくれたのだろうか。
前に会った時にも、見通しは暗そうなことを茂自身が話してはいた。それでもいざ結果が出てみれば、やはり落ち込んでいるだろうか。あるいは想定内だと受け止めているだろうか。ごく短いそのメッセージからは何も読み取れなかった。ただ、高志に知らせてくれようとしたその事実だけが伝わってきた。
あまり軽々しい言葉を返す気にならず、高志はひとまず『お疲れ』と返信した。
それから、ふと頭に浮かんだメッセージを入力する。送信せずに、しばらく考えた。これを送ってもいいものかどうか。もし自分が変な感情を持っていなければ。単なる友人の立場であれば。自分が茂への気持ちを忘れたいと思っているのであれば。
その時、先に送ったメッセージが既読になったので、高志は思わず、まだ充分に検討しきれていないまま、送信ボタンを押した。
『時間あればまた飯行こう』
送信と同時に既読がつく。高志は、更に『おごる』と付け加えた。
すぐに返信が来た。『行こう。でもワリカンな』とあった。
奢るのは行き過ぎだったか、と思いながら、高志は了解の旨を返信した。それからしばらく遣り取りして、日時を決める。茂が今週金曜日の都合を聞いてきたが、高志は了承する以外の返答を持っていなかった。ラインしている間に自宅に着いた。
茂の試験のことを忘れていたということは、自分でも意識しないうちに、ほんの少しだけ茂のことを忘れられていたということかもしれない。そしておそらく、その少しずつの積み重ねは今日でまた振り出しに戻った。きっと本当ならまだ会うべきではないのだろう。それは高志にも分かっていた。それでも、高志は茂に会いたかった。こうしてほんの少しでも言葉を交わしてしまえば、抗うことは難しかった。茂が自分のことを思い出してくれたのがこの上なく嬉しかった。茂と会うことでその後に更に苦しい思いを味わうことになるのだとしても、甘んじてそれを受け入れるから、ただ茂に会いたい、と高志は思った。
茂との遣り取りが終わると、スマホをベッドの上に放り投げて、高志はバスルームに向かった。脱いだウェアを洗濯機に放り込み、そのまま中に入る。シャワーの水流を頭から浴びながら、希美に連絡しないとな、と考える。
ようやく少しだけ希美のことを考えて行動しようとしたところだったのに、結局はまた茂の方を優先してしまった。それでも、水族館に行くとしたら土日になるだろうから、金曜日に茂と会うことは約束を違えることにはならないだろう。自分から提案した話なのだから、軽々しくキャンセルする訳にはいかなかった。
バスルームを出た後、高志はベッドに腰かけてスマホを手に取った。