知らぬ間に失われるとしても(83)

「あー、よく覚えてないけど、俺、何かそのせい? で野球始めたんじゃなかったかなー、あの頃」
「え? そのせいって?」
「いや、親父にさ、友達と遊びたかったら野球やれみたいに言われてさ……いきなりリトルリーグに入れられた」
「え、そうなんだ」
 初めて聞く話だった。旭の記憶の中では圭一はいつの間にか野球をやっていて、いつ始めたかとかは覚えていない。
「その頃は何か変な交換条件で無理やりやらされたみたいにしか思ってなかったけど、多分、俺の協調性ないのをどうにかしようとしたんだろうな、今考えたら」
「協調性? ないか? お前」
「ん-。一人っ子だし、自分の思いどおりにしないと気が済まないとこがあったみたい」
「ええ? そうだっけ?」
 旭の知っている圭一とはだいぶ違う。
「え? 俺、今でもそんな感じじゃね? 多少は大人になったかもだけど」
「さあ……俺はあんまりそう思ったことない」
 むしろ、親しくなればなるほど気遣いが増すやつだと思っていた。圭一の懐に入るとはこういうことなのだろうかと勝手に思ったりもしていたのだけど。
「旭は、子供の頃から割と人に合わせるの上手かったからな」
 圭一は目を細めて笑いながらそう言った。
「別に、無理して合わせてる訳じゃない」
「うん。悪い意味じゃなくて、懐が深いっていうか、許容範囲が広いっていうかさ。でも、だから俺は結構気が楽だった、お前といるの」
「……へえ」
「野球なんか始めて友達と遊べなくなるの嫌だったけど、今のままだったらそのうちお前にも嫌われる、みたいに親に脅されてさ」
 それはすげえ覚えてる、と圭一は笑った。
「お前にまで嫌われたら困るから、しぶしぶ行ったんだよな、最初」
「それって、俺の怪我する前? 後?」
「いや、だからお前の怪我っていうのが、よく覚えてないんだよなー」
「山口は? あいつも怪我して、お前んとこ学級会とかでかなり揉めたんだろ」
「ああ、山口な、そうそう。何か俺のせいになったんだよな、俺がやらせたとかみんなに言われて」
「え?」
「ああそうだよ、そんでその後すぐにリトルリーグ入らされたんだよ、確か」
 山口のことは覚えているのに、旭のことは覚えていないのだろうか。その時は別のクラスだったから、同じクラスの山口の怪我の方が印象が強いのかもしれないけど。
「その学級会で何か結構みんなに責められてさ。俺は普通に遊んでるだけのつもりだったんだけど、俺にいっつも命令されるのが嫌だったみたいに言い出すやつとか何人かいて。何かすげえ覚えてる」
「……まじか」
「嫌ならそう言えばよかっただろって言ったんだけど、言えないやつもいるし、俺が強引なんだって言われてさ」
「……」
「そっか。お前も怪我してたから、お前に嫌われるぞって親に脅されたのか。ただ仲が良かったから勝手に名前使われただけだって今まで思ってたわ」
「……お前、それ……」
 単に覚えてないだけなのか。
 それとも――もしかして。
 眠気が勝っているのか、横を歩く圭一は特に何かに気付いた様子もなかった。

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