知らぬ間に失われるとしても(62)

18.圭一の部屋4

「お前、ベッド使っていいぞ。シーツとか替えてるし」
 そう言って、圭一はクローゼットから着替えを取り出して着始めた。
 下着に足を通すその後ろ姿を見ながら、今更だけど俺に裸を見せるのは平気なんだな、と思う。意識しているようには見えない。圭一の気持ちを知らなければ、その振る舞いはやっぱりただの友達としてのそれだった。それに今日は、二人になっても恋人のような雰囲気にならない。
 もし旭が今ここで裸になったら少しは様子も変わるんだろうか。そんなことを考えながら、旭はベッドに上がり、奥まで進んで壁に背中を預けた。
「お前の髪の毛、前から触ってみたかったんだよな、実は」
「そうなんだ」
 本当はもう知ってるけど。着替え終わった圭一が振り向き、布団の上に座った。ベッドの横に布団を敷くと、もうそれだけで部屋はいっぱいになっている。
「なあ、柏崎くんが泊ってたらどうやって寝るつもりだった?」
「まあ、ここかリビングで雑魚寝か、それか俺が親んとこの部屋で寝てたかな」
 圭一はいつものようにペットボトルからマグカップにお茶を注ぎ、旭に手渡してくる。旭は壁から背を離し、にじり寄ってベッドのふちに腰かけた。少し喉が渇いていたのですぐに口を付ける。
「――お前さ。だいぶ元気になったように見えてたけど、まだへこんでる?」
「え……」
 その言葉で、旭は圭一が話をしようと言った理由に気付いた。
「別に。へこんでない」
「いや、無理に話せって訳じゃなくてさ。この話、嫌?」
「嫌とかじゃないけど……」
 話の内容が圭一の記憶喪失のことになるなら、圭一本人には話せそうにない。
「俺さ、ちょっと聞きたかったんだけど」
「え?」
「お前、何で俺と付き合おうと思った?」
 あらたまってそう聞かれ、旭は一瞬言葉に詰まった。
「いや、別にいいんだけどさ、どんな理由でも。やっぱキスの相手が欲しかった?」
「へ? 何それ」
「だって、『キスしたら付き合う』って言ってたから」
 そんなことを言っただろうか。言ったかもしれない。その時は、ただ圭一とキスがしたいだけだったのだけど。
「お前、ちょっと前すごいへこんでたみたいだったし。もしかして実はまた誰かと付き合ってて、別れた直後だったとかかなって」
「え? いや、全然違う」
「じゃあ失恋した?」
「ち」
 違う、と言いかけてやめる。ある意味では正しいのかもしれない。
「……そんなんじゃない」
「言いたくないんだったらいいよ。ただ、それだったら俺と付き合う気になったのも分かる気がしたから」
「……」
 圭一がマグカップに口をつける。旭が自分のことを好きだなんて思いもよらない顔。存在もしない女を想像して納得している。
 圭一の言ったことは、図らずも当たっていた。旭は確かに圭一と付き合い、そしてその恋を失って落ち込んでいたのだから。
 そのまま少しの沈黙が流れた後、旭は思い切って口を開いた。
「俺もお前が好きだから」
「え」
 ぱっと顔を上げた圭一とまともに視線が合う。旭がじっと見続けると、やがて圭一は小さく口を開いて、しばらく言葉を探した後、ふっと苦笑した。
「――ま、少なくとも俺はお前とは一番くらいに親密だよな、多分」
 圭一の軽く笑いながらそう言った。
 ……伝わらないか。
 旭は小さく息を吐く。
 それは仕方がない。今の圭一に伝わらないのは。
 でも……本当は、ちゃんと気持ちを伝えたら、もっと喜んで欲しかった。圭一を喜ばせたかった。もし夏休みを一緒に過ごしたあの時の圭一に伝えていたら、もっと真剣に受け止めて喜んでくれたんだろうか。もっと早く、旭が自分の気持ちを自覚できていれば。
「なあ。別に、無理に俺に合わせる必要ないんだからな」
 旭の告白をまるで信じていない圭一の言葉。ベッドに座る旭と、布団の上に座ったままの圭一。何でこんなに離れているんだろう。
「別に無理してない」
「ん、まあな」
「……慣れてる訳でもない」
 独り言のようにそう呟くと、圭一は不意を突かれたような顔をし、慌てて言い繕った。
「いや、ごめん。あれはそういう意味じゃないから」
「……」
「ていうか、嫌味みたいなこといってごめん。感じ悪かったな」
 無理だと思っているのは、旭じゃなくて圭一じゃないのか。好きだと言われても、今の圭一は自分から旭に近付いてこようとしないのだから。
「……お前は嫌なの」
「え、何が」
「俺が慣れてるとしたら」
 前は、どうやってあんな風に毎日くっついていたんだろう。この部屋にいる時はずっと圭一の体温を感じていたような気すらするのに。
「違う、そんな訳ないだろ。まじ変なこと言ってごめん」
 そうだ。あの頃はいつも、圭一の方から旭を求めてきてくれた。こんな風に二人でいたら、いつだって圭一から抱き締めてくれた。
――今は?

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